なぜ創作を描き続けるのか

なぜ世に作品を発表をし続けるのか

 

こないだ商業作家さんのご相談をお伺いする機会があってその時に思った事をつらつらと。

 

 

 

 

まぁ詳細は省くが、商業の場合は、

舞台に登ってしまった以上、最後まで踊り続けれなければならないのではと思う。

 

 

私の答えは相手に伝えたつもりだけど、その答えを私が自分の中から見つけ出すまでに、見たくもない自分の嫌な所を見て、言葉にもしたので、めちゃくちゃ元気が削がれてしまった。

 

その舞台に立っている人なりの悩みがたくさんあるだろうし、それは同じ立場の人間同士じゃないと理解し合えないだろうし、立場の違う私からの答えは貴方が納得する答えでもないでしょうとも伝えた。

 

まぁどの言葉を綴っても、とても惨めになってしまって、なんだかなぁと思った。

 

 

私の場合、創作はイマジナリーフレンドの部分も多く、切っても切り離せれないので、

描かない選択肢を選んでる時もずっとそばに居るし、何度筆を置いても、気が付けば筆を持ち直している。

 

描かなくても生きていけるが、息をして存在しているだけで、物足りない。

 

から、描く、刻む、私の為に。

 

 

 

 

でも商業は受け取る側が存在するのが前提にあるので、そうはいかない訳で。

担当者やアシスタント達とで作っていく、たった一人で作ってた頃とは違う。

締め切りも存在するし、読み手もいる。お金も発生する。

 

でも、その舞台に登ったのは君でしょ。

その舞台に登れなかった私は、君の悩みに共感も助言も何も与えれないよ。君は人と違う道を選んだんだ。その悩みは残念ながら、何一つ分からないよ。分かったフリは出来てもね。

 

幕引きのその時まで、君は立ち続けなければならない。観客が席を埋め続けるまで君は何度もその舞台に登らなければならない。

 

舞台の上で、君の全てを曝け出し、もうやり残した事がない。全てを出し切って、もう何もなくなったなら、その時は舞台から降りたらいいと思うよ。

その時は花束を持って駆け付けるから。

 

まだ作品を終わらせてもないのに、そこで立ち止まっている時じゃないでしょ。

 

 

 

 

 

でも、これって多分ね、舞台を見上げてる人の助言だと思うの。全てね。

舞台に立っている人に目線を合わせて、多分抱えている悩みとは、少しズレた答えをしているんだろうなと思う訳で。

 

そう思った時も、なんだかとても惨めで。

そんなになりたかった訳でもないんだけど、そういうのも言い訳になっちゃう訳で、なってる人を目の前に話すとね、そうなっちゃうの。とてもなさけなくて、かなしくって。

 

 

私は義務化して絵を描けないだろうなとか、自分の実力とか、そういうのを冷静に判断した時に、チャレンジする前に「なりたくない」って言い訳して諦めちゃったので。

 

 

「一人だって描いていける」

 

それは本当に一人になってしまった時や、一人で描いてる時に、たった一つの執念として続ける理由としてある言葉で、

沢山の名誉や光栄というスポットライトを浴びながら言われると、じゃあ私はなんなんだろうと思ってしまう。

他人の相談を受けてる時に隙あらば自分の事を考えるなというのは置いといて。

 

 

ただ舞台の上は、きっと孤独で一人ぼっちなんだろうなって。

 

その舞台裏には沢山の仲間や、舞台を見上げる観客がどれだけ居ようと、舞台の上はきっと誰もいない。

だから、分かち合えない。

 

スポットライトを浴びて、一人で輝き続けて欲しい。

 

 

漫画以外いらない。

そう心から願って、漫画と共に死んでくれ。